東北復興祭 in 陸前高田 ’13-09-22

イベントステージ

 2011年3月11日、宮城県沖で発生したマグニチュード9の大地震によって、陸前高田市は高さ13メートルを超える大津波に襲われました。

 市街地は壊滅的な被害を受け、海岸から約3キロのところにある1部4階建ての市役所庁舎も津波に飲みこまれました。陸前高田市では約2,000人の方々が亡くなり、市の職員も1/3近い1,103人が命を落としました。
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 しかし、そんな想像を越える大地震と大津波が襲ってきたなんて、この一面草に覆われた土地を見て想像がつくでしょうか。頭の中ではわかっていても、なんだかピンとこないというのが最初の印象でした。

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 けれども、坂を少し登った小高い位置に建つ陸前高田市立 高田小学校の一階にまで津波が押し寄せてきたと聞き、本当に慄然としました。

 綺麗に修復された校舎を前に、これもにわかには信じられませんでしたが、こちらの動画をご覧ください。
「大きな被害を受けた陸前高田市[震災翌日]」という動画の最後に、流れこんだ大量の泥や瓦礫に埋め尽くされた校庭や、押し流された車が体育館の入り口で停まっている様子が映しだされています。
 

 改めて被害にあった市街地を見てみると、草むらの中にポツリポツリと取り残された建物が、津波の凄まじさをわたしたちに語りかけてくるようでした。 
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 これはNTTの建物ですが、こういった頑丈なビルだけを残して街がほぼ消失してしまったといっても過言ではないのです。

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 こちらは5階建てのアパート。恐るべきことに4階部分まで津波に破壊されています。すぐ目の前が海という、津波さえなければ毎日美しい海が眺められる最高のアパートだったでしょう。住人たちは無事避難できたのでしょうか。ここで暮らしていた人々のことを思うと、胸が締めつけられます。

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 左側のビルはスーパーのマイヤ高田店。てっぺんの看板の下の方まで海水が来たといいます。ここでも多くの従業員の方が亡くなったそうです。

 マイヤとNTTの近くには陸前高田市役所の建物もあり、屋上に職員や市民124人が取り残されました。4階の屋上部分にまで津波が押し寄せ、ハシゴでさらに高いところに登ろうとするほど命の危険にさらされたそうです。
 道路を挟んで隣に建つ市民会館も避難所となっていたため多くの市民や市職員が逃げこみましたが、3階建てだったため多数の死者を出しました。
 
 市役所の庁舎はすでになく、内陸に3キロほどいったところで再建が進められています。
 ↓画像に写る廃墟の位置などを記したマップです。クリックで拡大します。
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 こうしてみると、古くからある街の脆さや危うさについて考えさせられます。
 昔から海の近くほど早く栄え、市街地が形成されてきました。山奥より海近くにまず鉄道が走り、駅が作られます。役所も利便性の良いところに建てられますから、どうしても市街地の中心部か隣接地に作られてしまいます。
 しかし、行政を司る市庁舎が真っ先に被害に遭い、そこに逃げこんでも安全ではないというのでは大問題です。とはいえ、役所だけが安全地帯にあるというのも疑問を持たれる余地があるでしょうし、難しい話ですね。
 陸前高田市は津波の教訓を活かして高台への住宅移転を進めているようですし、復興の歩みは遅くとも安全な街づくりをしていただきたいと思います。


 さて、先ほどもご紹介した陸前高田市立 高田小学校は復興祭の会場となった場所です。 
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 この画像は、高田小学校のグラウンドから写したもの。緑色のネットの向こうにアンテナ塔を備えたNTTの建物が見えます。小学校はそこから少し高い位置のように見えますが、かといって小高い丘の上というほどでもありません。標高14.5メートルほどといいますから、微妙な高さです。

 幸いにして、高田小学校の生徒たちは全員、校舎の上の階に避難して無事だったそうです。しかし、地震直後はグラウンドに避難していたので、教師らの的確な誘導がなければ危なかったと思います。

 陸前高田市教育委員会のホームページには、「高田小学校まで津波が押し寄せるなんて、高田町に住んでいる人は誰一人として考えもしていなかったと思います。(私の祖母は、「大丈夫、大丈夫。津波が来ても線路を越えてこないから。」というのが口癖でした。)」という文が綴られています。

 悲しいのは、「市内の小中学生合わせて、死亡15名、不明4名、計19名にのぼっています。このほとんどが、当日早退していたり欠席していた子供たちとなります。」という下りです。
 学校は比較的小高いところに建てられていることが多いですね。わたしの母校は横浜市の内陸部ですが、小・中学校とも丘の上にあります。陸前高田市でも、小中学校にいた子どもたちは下校前ということもあって無事だったのでしょう。でも、その日たまたま休んだり早退したりした子どもたちは本当にたまたまだったのに、その多くが尊い命を落とすことになりました。予測のつかない災害の過酷さ、悲しさをひしひしと感じます。
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 お昼から続いたステージの締めくくりに、そんな震災を受けた子どもたちが作詞した「虹色のふるさと」が歌われました。鎮魂と復興の願いをこめて歌うは、歌手の二條容子さん。 
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 続いて、お隣・大船渡市出身の新沼謙治さんが作詞作曲を手がけた「ふるさとは今も変わらず」などを歌いあげます。
 ステージ前が、3200個の「ゆめあかり」のキャンドルで埋め尽くされました。「ゆめあかり」は、陸前高田市地域女性団体協議会の皆さんが空き瓶と牛乳パックで作ったもの。「奇跡の一本松」を描くように配置されています。
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 わたしも並べるお手伝いをさせていただき、一つ一つに祈りをこめて火を灯していきました。
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 人々がキャンドルとステージを取り囲むように手をつなぎ、一緒に歌を歌います。
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 最後は、「365歩のマーチ」を元気よく。ライブステージの出演者の一組、和太鼓グループ「打打打団」の皆さんも一緒です。
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 こちらが勇壮な和太鼓グループ「打打打団」さん。1987年に舞台芸術家によって創設された和太鼓のプロフェッショナル集団で、コメディタッチの「コント・デ・和太鼓」で大笑いしたり、イケメンさんの和太鼓や美人三味線弾きさんにうっとりと見とれたり、とにかく若くて格好いいメンバーと飽きさせない構成が素晴らしかったです。

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 感動のフィナーレ。
 そして、打ち上げ花火が上がり(やった! 今年初の花火を見ることができました!)、これで終了!
 ・・・というところで二條さんから提案があり、「見上げてごらん夜の星を」をアカペラで歌ってくださることになりました。

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 体育館前で互いにねぎらいの言葉を掛けあう出演者さんたち。「がらくた工房すきっぷ」のクラウン・バロンさん、ドギーさん、打打打団さん、そして二條容子さん。皆さん、とても素敵な出演者さんたちでした。
 
 
 
 

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