富士山 開山式前夜祭 in 東口本宮冨士浅間神社 ’13-06-30

イベントステージ

 富士山の世界遺産登録おめでとうございます!
 なんと! 二日続けて浅間神社でイベントステージのお仕事をさせていただくことになり、神社大好きのわたくしは大喜び。
 昨日の「お富士さんの植木市と花のフェスティバル」は浅草浅間神社の縁日。
 富士山の山開き前日となる6月30日の本日、富士山須走口登山道の開山式の前夜祭が東口本宮冨士浅間神社前の駐車場で盛大に行われました。
 これも世界遺産効果なのでしょうか。ありがたいことです。

 浅間神社というのは日本全国至るところにありまして、富士山を神格化した神様・浅間大神や木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)を祀る富士信仰の神社なんです。けっこう皆さんの町にもあったりするんじゃないでしょうか。わたしが住む練馬にも2ヵ所あります。
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 ここ静岡県の小山町須走にある東口本宮冨士浅間神社(以下、須走浅間神社と書きます)は数ある支社の一つですが、富士山須走口登山道の起点に鎮座ましまし、その謂われにも由緒正しいものがあります。

 桓武天皇の時代の延暦21年(802年)正月、富士山の東麓が噴火して、特に御殿場あたりの被害がひどかったそうです。そこで国司・郡司が須走に斎場を設けて鎮火の祈願を行ったところ噴火が収まったため、平城天皇の時代になった大同2年(807年)、斎場の跡地に社殿を造営したと伝えられています。

 祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)。
 
 木花開耶姫命は、火を放たれた産屋の中で出産したという伝説が残ることから火の神とされています。同時に、山の神である父オオヤマツミから富士山を譲られ、東日本一帯の守護神にもなっています。
 大己貴命は大国主(おおくにぬし)とイコールとされ、色々な女性の神とのあいだに数多くの子どもを設けたことから縁結びの神として祭られています。いうなればギリシャ神話のゼウスみたいな方かと。
 彦火火出見命は、木花開耶姫命が例の火中出産で産み落とした3番目の子で、稲穂の神、穀物の神として信仰されています。初代天皇・神武天皇の祖父だそうで、この神武が即位した日が日本の建国記念日に制定されています。

 さて前置きはこれくらいにして、いよいよ須走浅間神社の中に入ってみましょう。
 ところで皆さん、冒頭の写真にご注目ください。この神社は、字が色々と面白いんですよ。まず鳥居のところの「不二山」ですが、これは「二つとない山」という意味です。確かに富士山は世界中のどこにも同じものがありません。だからこそ世界遺産に選ばれたんですが。

 そして、石柱の「冨士浅間神社」の「冨士」の『うかんむり』には点がありません。「富士」ではなく「冨士」なんですね。さらに「浅間神社」は「あさま」ではなく「せんげん」と読みます。関東の人間は、軽井沢にある浅間山の「あさま」と同じ読み方をするもんだと思っている人も多いと思います。実際、情報番組の「ひるおび」でもコメンテーターが「あさま神社」と言ってました。
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 済みません、中に入りましょうと書いておきながら、まだ鳥居の前なんですが。そばに「富士講」の記念碑が陳列?されているので、ここでちょっと「富士講」について触れてみたいと思います。

 「富士講」とは、江戸時代から昭和初期まで盛んだった富士山信仰のサークルのようなものです。有名なのは江戸・麻布の山三元講で、富士山のミニチュアまで建てちゃいまいした。頂上にはここの須走浅間神社から勧進された浅間社が置かれたそうです。

 町民・農民問わず富士山の参拝登山が一大ブームとなった一方で、富士山まで行かれない人でも参拝したのと同じ御利益を得られるようにと造られたのがミニチュア版富士山「富士塚」です。本家と同じ浅間神社に護られていますから、確かに御利益は一緒という気もします。

 我らが練馬区にも大泉富士塚、江古田富士など5ヵ所の富士塚が残っており、わたしも大泉富士に登ったことがあります。12メートルほどの高さで、ちゃんと五合目、八合目という標識まであります。
 実家がある横浜市都筑区にも山田富士というのがあり、幼稚園の遠足で行ったり(何十年前だ?)、犬の散歩で訪れたこともある地元の名所です。ここも後で富士塚だったと知り、意外と身近なところにあるんだなと驚きました。

 世界遺産登録で過熱フィーバーするテレビ報道を観るにつけ、富士山というのはわたしたちのご先祖の代から現代に至るも日本人のメンタルをぐわっしと鷲づかみにしてきた山なのだということを強く感じざるをえません。

 s-DSC00760鳥居をくぐって境内に入ると、左右に居並ぶ富士講碑と「根上りモミ」が目に入ります。
 ここにある富士講碑の多くは、講の解散によって解体された富士塚から運ばれてきたものだそうです。数の多さから、いかに富士講が盛んだったかが窺えます。

「根上りモミ」は町指定の天然記念物・指定文化財に指定されている樹齢300年のもみの木です。
 また県指定天然記念物はるにれもあり、約5000坪の境内には野鳥のさえずりが響き渡り、心癒やされる素晴らしいスポットなのです。





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 社殿です。創建は先述した通り大同2年(807年)ですが、宝永火山の噴火により3メートル以上の火山岩や砂に埋もれ、大被害を受けました。その後、享保3年(1718年)に再建された建物の一部が今も残っているそうです。

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 明和4年(1707年)に再建されたと考えられる楼門。関係ないけど、両脇の狛犬がポケモンに見えてしまうのは、わたしだけでしょうか。


 おっと、そろそろステージのご紹介をしておきましょうか。別に忘れていたわけではありませんよ~(汗
 富士山と浅間神社と信仰の関わりについてあらかじめ説明しておいた方が、このお祭りを2倍、いや10倍楽しめると思ったので、少し丁寧めに解説してみました~。
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 今回、小山町からご注文いただきましたのは、「拡張つき10㌧トラックステージ」です。
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 9.7m×3.2mと、もともと広いステージに拡張部分をお付けしたので非常に広いです。
 どうしてこんなに広いステージが必要だったか、その理由はこの後いずれわかります。
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 駐車場内のマンホールのフタが、かわいい金太郎のデザインでした。
 わたしは子どもの頃から、金太郎は神奈川県の足柄山出身と思っていたので、どうしてここに金太郎が? と不思議に思いました。調べてみたところ、ここ小山町に金太郎を祭る金時神社があるからなんだそうです。
 


 
 午後3時になり、副町長や観光協会会長、小山町議会議員さんなどをお迎えしてのオープニングセレモニーが始まりました。
 そして、地元・須走幼稚園の年長さんたちによる勇壮な和太鼓が披露されます。 

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 続いて、陸上自衛隊富士学校音楽隊の皆さんによる演奏。富士学校はここの前の道路を挟んで反対側にある富士駐屯地の中にあるので、いわば浅間神社のお隣さんというわけです。

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 かっこいいです! 自衛隊の吹奏楽の演奏はYouTubeでたびたび拝見していましたが、いつか生で観たい!・・・と思っていました。
 ノリノリの指揮者さん(陸曹長だったかな?)もサイコーです♪
 
 できればレオンジャパンプロのトラックステージ上で演奏してくれたらもっと嬉しかったんですけど。子どもたちの太鼓の後ということで展開に時間がかかるため地面の上での演奏になったと思うのですが、機会があれば次回はぜひステージに上がっていただけたらと思います。

 動画もアップしたので、ぜひご覧くださいね~。
 


 
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 続いて「オールスター」というグループによる よさこいです。

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 なかなかダイナミックで壮麗です。


 さて、いよいよ本日のステージが迎える最高の山場となりました! 全国のゆるキャラ登場~!!
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 それも、ただのゆるキャラじゃありません。世界遺産に登録されているすべての県からはるばる駆けつけてきたゆるキャラたちなのです。一部をご紹介しましょう。

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 まずは奈良県斑鳩町のキャラクター「パゴちゃん」。ネーミングの由来は東洋の仏塔を「パコダ」と呼ぶことから。頭に法隆寺の塔を載せ、ボディは柿の形をしています。「柿食えば 鐘が鳴るなり法隆寺」という正岡子規の句をモチーフにしているそうです。
 うーん、深すぎてかなり難解なキャラになっています。

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 続いて、姫路市からは姫路城をモチーフにした「しろまるひめ」。
 素直に可愛いんじゃないでしょうか?(←お前が論評するか)
 ちなみに隣の青いゆるキャラは静岡県公式キャラクターの「ふじっぴー」です。激しく飛び跳ねる動きが若干ふなっしーとかぶってます。

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 左端の女の子はわりとわかりやすいと思います。沖縄県代表、観光親善使節の花笠マハエちゃん。ふじっぴーはマハエちゃんが好きだと告ってました。
 
 さて、今回のイベントになぜ10㌧ステージ+拡張が必要だったか、もうおわかりでしょう。これだけの数のゆるキャラたちを全員ステージに上げるには必要なサイズだったんですね。
 
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 ここだけの話ですが、横幅があり、なおかつ足下のおぼつかないゆるキャラたちにステージに登っていただくのはけっこう時間のかかる作業だったんですよ。
 浅間神社の氏子青年会の皆さんが左右から抱きかかえ、レオンジャパンプロのスタッフもお手伝い。

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 フィナーレは登山安全祈願の福餅まきです。用意されたお餅の数は、富士山の標高にちなんだ3776個! さすがだ小山町! 太っ腹だぜ小山町!!

 町や氏子会の方たちがお餅とお菓子をばらまきます。
 盛りあがる盛りあがる。町の人たちがキャーキャー言ってお菓子をキャッチしたり拾い上げています。
 わたしは「自分は仕事で来ているんだから拾うわけにはいかないわ」と、最初は澄まして写真撮影に専念していましたが、気がついたら足下に落ちたお餅を拾っていました。
 餅まきという儀式には、きっと人間を豹変させる何かがあるのでしょう。だからこそ大昔からずっと行われてきたのです。きっとそうに違いありません。ええ。

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 これが頂いた紅白のお餅。不二山の焼き印つきです。これを食べて「不死」といきたいものですね。


 おまけで、「夏越の大祓式」(なごせのおおはらいしき)の模様をご紹介したいと思います。
 イベントステージの合間に、浅間神社の境内で大祓式が執り行われ「茅の輪くぐり」(ちのわくぐり)が行われるというので行ってみました。
 わたしはこの「茅の輪くぐり」が「火の輪くぐり」と聞こえてしまい、「ワイルドな儀式をやるもんだな。これはぜひ見ておかなければ」と思ったのです。
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 この藁で編んだ輪を「茅の輪』というのですが、わたしはこれに火をかけ、中をくぐるのだと思っていました。 
 いやいやまさか。そんな危険な神事を小山町の老若男女にやらせるわけないじゃないですか。

 茅の輪をくぐる事によって半年間の汚れを祓い清め、無病息災を祈願するこの行事は、スサノオノミコトにまつわる説話が起源となっており、他の神社でも行われています。

 『スサノオノミコトが旅行の途中、一夜の宿を借りようと蘇民将来・巨旦将来の兄弟に頼んだ。弟の巨旦将来は、裕福であるにもかかわらず拒絶した。兄の蘇民将来は貧しい生活だったが、ミコトを泊めて精一杯のもてなしをした。
 数年後、ミコトは再び蘇民将来の家を訪れて、「天下に悪い病気が流行したときには茅萱で輪を作り、腰に付けておけば災難をまぬがれるだろう」と教えた。後に悪い病気が流行した際、ミコトの教えを守った蘇民将来の一族は災難をまぬがれることができた。しかし、弟の一族は一人を除いてすべて滅びた。その一人とは、巨旦将来の妻となっていた蘇民の娘。スサノオノミコトは彼女の腰に茅の輪を付けさせ、それを目印として娘以外の全員を滅ぼしたのだ』

 こういう説話は外国にも類似したものがあるような気がしますが、とにかく1500年以上も大昔の教えを律儀に守り続けているのですから、大事に受け継いでいきたい文化ですね。

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 2人の神主さんに率いられて茅の輪をくぐります。歩き方にも独特の作法があり、「六根清浄」を唱えながら八の字を描くように練り歩いて輪をくぐります。
「六根清浄」の六根とは人間の五感と第六感を意味し、欲への執着を断って魂を清らかな状態にすることを表す言葉です。昔は富士山に登る際にこの言葉を唱えながら登ったそうです。この言葉が変化して「どっこいしょ」という言葉になったとも言われています。
 誰もが一度ならず「どっこいしょ」という声を発した覚えがあると思いますが、こんな何気ない言葉が富士山から端を発しているというのも面白いですね。

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 輪をくぐる前、一人にひとつずつ配られた紙の「人形」(ひとがた)に息を吹きかけ、神主さんに渡しました。この人形に体の悪いところを移して川に流してもらうそうです。
 もう体中悪いところだらけなので、とりあえず人形を頭やら腰やらに目一杯こすりつけておきました。
 
 今回はお仕事で行った行事だったのだけど、お祓いに参加させていただいたりお餅をいただいたり全国のゆるキャラを見たりと、とても楽しくて一日があっという間に過ぎました。
 小山町の皆さんには大変お世話になりました。またどうぞよろしくお願いします。

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